青空文庫への登録が可能な作家のリストです。 アクセスランキング: xhtml版、テキスト版の、月間500位を示します。 青空文庫のxhtml, textの読み方: 青空文庫のファイルを読む方法をご紹介しています。 収録ファイルの取り扱い規準 (青空文庫) 作家データ ... 1962-09-07: 人物について: 「吉川英治」 底本データ. 著作権切れの名作小説を無料で読むことが出来る青空文庫をご存知ですか。この記事では青空文庫のおすすめ人気作品として、読みやすい短編、長編、海外の作品に分けて紹介していきます。どれもおすすめの小説ばかりですので、気になる本がある方は是非手にとって読んでみて下さい。 中山安兵衛(後の堀部安兵衛)は義理の母おみつと祖父の安左衛門に育てられていたが、安兵衛が元服するとすぐに安左衛門が亡くなり、安兵衛が家督を継ぐ事になる。赤穂が断絶すると、伊助は吉良邸へと討ち入りに行く事になる。そのとき伊助は姉弟に手紙を残し、自分が原田次郎吉だという事を明かした。さらに剃っているうちに剃刀の柄が外れてきてしまったので、柄の部分を内匠頭の頭にトントンと叩きつけて直した。神崎与三衛門の息子・与太郎は愚か者で、与三衛門は実子の与太郎がいるのに養子を探すほどだった。伊助は自分がその原田次郎吉当人だという事は隠して姉弟を育てる。腹が立った唯七が金太を蹴り倒すと、そのまま金太が動かなくなる。どうやら殺してしまったらしい。おみのは礒貝の本心を悟って喜び、礒貝の後を追って自害する決意を固める。勘平が大石内蔵助に相談したところ、内蔵助はわざと放蕩して伯母から愛想を尽かされれば養子に行かなくてよいのではないかという。しかし姉弟の話を聞いて、伊助は驚いた。聞けば姉弟はその昔伊助が倒した下坂十太夫の子供で、父・十太夫の仇である「原田次郎吉」(伊助の前名)を探しているのだという。こうした久和を見た周囲は久和の事をほめたたえたが、一方の与惣兵衛の名は地に落ちた。浅野内匠頭の不幸が原因で加増されたのに、これを断らなかったからである。討ち入りの際、四十七士は全員、服装を黒地に白の山形模様のついた火事場装束のような羽織に統一した、というもの。一方、安太郎の許嫁であった「おみつ」は、安太郎が勘当されていなくなってからというもの、安左衛門の世話をしながらずっと安太郎の事を待っていた。この事を安左衛門の下僕から聞いた安太郎は申し訳なさに人知れず自害する。しかし團蔵は四段目「判官切腹の場」における淀五郎の演技が気に入らず、淀五郎が切腹の演技をしても舞台に出てこない。そんなことが何日も続いたため評判が悪くなる。半右衛門は内蔵助の姫を預かっていたため、討ち入りにも参加せずにこれまでむなしく生きてきたが、無事祝言もすませたので、主人の後を追って殉死したのだ。ある日の事、安兵衛の伯父の菅野六郎左衛門が、試合で村上庄左衛門、三郎右衛門の兄弟を打ち負かした所、村上兄弟から恨みを買い、決闘を申し込まれる。村上兄弟は助っ人22人を連れて決闘の場に現れ、対する菅野六郎左衛門はたった一人で決闘の場に現れた。その後、浅野内匠頭の刃傷が起こり、半之丞も同志の一人に加わる。だが今はお家の一大事を赤穂へと伝えに行く途中。葬式への出席を断念し、赤穂へと急ぐのだった。調子に乗った国蔵は「詫び証文を書け」と因縁をつけてきたので、大高はおとなしくその証文を書いた。太郎作は魚釣りで盲目の祖母を養ったので、与太郎に食い下がると、与太郎は抜刀して太郎作に斬りかかる。しかし与太郎は足を滑らせて自らの刀で自分を刺してしまい、そのまま死んでしまう。しかし討ち入り後、寺坂吉右衛門が現れて、妻子等に大石の真意を伝えるのだった(講談「忠臣二度目の清書」、「山科妻子の別れ」など)。大野九郎兵衛は八十右衛門に仕返しをしようと、八十右衛門に刀を見せるように言う。貧乏で名刀など買えない八十右衛門は冴えない鈍刀を刺していたので、大野九郎兵衛に馬鹿にされる。その一年後、半次郎の父・半十郎が何者かに斬り殺されてしまう。半次郎は頼る者も無かったので母とともに江戸に出てきて、剣術指南の看板を出して生計を立てたが、何分半次郎がまだ子供だったため、習いにくるものは少なかった。ある日、与太郎が釣りをしていると、自分は全然釣れないのに、近くで釣りをしていた太郎作という少年はずいぶん釣れていたのに腹を立て、二度とここで魚釣りをしないよう太郎作に言う。赤埴源蔵は討ち入り直前にこれまで散々迷惑をかけた兄に今生の別れを告げようと兄の家を訪れた。しかし兄は留守であった。義姉もどうせ金の無心にでも来たのだろうと仮病をつかって出てこない。豆腐屋は嬉しさのあまりこう言った「先生が私のために自腹を切ってくれた」帰り道に杜若を内匠頭に持っていくよう頼まれるが、鉄砲州のお屋敷近くが火事になっているのを見て慌てて、馬を走らせようと杜若で馬を叩いてしまう。おかげで帰り着いた時には杜若には茎しかなかった。しかし唯七は頭を湿らせる事なく剃刀で剃ってしまい、内匠頭は痛い思いをした。松山城の藩士達は城を枕に籠城討死の覚悟であったが、大石は松山城にたった一人で乗り込んでいき、城代の鶴見内蔵助と会う。そして大石は「藩主への忠義から籠城しているのかもしれないが、城を枕に戦えば藩主の舎弟の主水公に迷惑がかかるのでかえって不忠ではないか」と理を説いた。この娘の夫・梶浦は事態を知り、こう言った「九郎兵衛の娘と連れ添っているのは武士の道にもとるので、お前とは縁を切る。行くところもないだろうから裏の隠居所で暮らせ」。娘に罪があるわけではないので、夫の梶浦は妾を持つこともなく、やもめとして一生を終えた。赤穂事件を題材にした演目は数多いが、以下代表的なものを紹介するに留める。そこへ駆けつけた役人は、唯七を騙して金を巻き上げようと企み、金太の妻と称する仲間の女をつれてきて、金太殺しの罪を許して欲しければこの女に百両払えという。大高源五は、子葉の俳号を持ち、俳人としても名高い赤穂浪士である。俳人の宝井其角とも親交があった。その様子を見た新左衛門の舅は、武士が八百屋をするなどけしからんと、新左衛門の妻とともに嘆いた。しかし例えば義兄弟と言えども仇討ちの事は言えず、大高がとぼけると、水沼は怒りだし、義兄弟の契りを解消すると言い出す。そこで久馬はあえて宮内大輔を怒らせ、「手打ちにする」と追ってくる宮内大輔から逃げ回る。そのうち宮内大輔が疲れてお湯を持ってくるようにいうと、久馬は薬を溶かしたお湯を渡す。疲れていた宮内大輔はこれを飲み干すのだった。そこで勘平は呑めない酒を無理やり呑んだり遊郭に行ったふりをしたりするが、伯父が「若い男が酒を飲んだり遊郭に行ったりするのは付き合いもあるからいいことだ」と理解を示すので、一向に愛想を尽かされない。後からやってきた大石内蔵助は唯七から事情を聞き、役人に向かって「百両の金は払うから金太の死体を胴切りにしてもよいか。死んでいるのだから胴切りにしても問題ないだろう」といって刀を抜いた。しかし利兵衛は拷問に耐え抜き、利兵衛の態度に感心した奉行は、武器の準備の件を不問に付すのだった。ある日伊助は、月岡十郎左衛門という侍のお伴を命じられるが、月岡は馬に乗るのが下手で、いつまで経っても前に進まない。そこで伊助は茶屋で少し休憩を取っていたが、その間に月岡の馬は泥をはねてしまい、泥が近くにいた別の侍にかかってしまう。これが原因で口論になり、月岡はその侍に切り殺されてしまう。そこで勘平は下女に酒を買いに行かせ、その下女に言う事があるのだといって無理やり家から出て、先に外に出た下女を突き飛ばして吉良邸へと急ぐ。その後使いにいくが間違って浅野本家ではなく黒田家に入ってしまった事に気づく。仕方がないから「腹が減ったから黒田家に一食一飯をご無心にきた」と言ってごまかし、食事だけもらって黒田家を出る。実は6つ目のさらし首は半次郎の事を妬んだ長澤繁松という男が、半次郎を脅かそうとさらし首のふりをしているだけだった。半次郎に斬りつけられた繁松は、三日後に死んでしまったが、この件は繁松の不心得だという事で半次郎にはお咎めがなく、むしろ度胸を示した半次郎の名があがった。赤穂事件が起こると、幕府では浪士達の処分を巡り議論が紛糾していた。そこへすでに名をあげていた徂徠が登場し、「すでに死を覚悟している浪士達を助けるのは彼らの忠義に反する。彼らに切腹させるべきだ」と理を解き、浪士達の切腹が決まる。仕方がないから大名の中間奉公をしようと、名を伊助と改めて赤穂藩浅野家に仕える。義母が亡くなったので、中山安兵衛(後の堀部安兵衛)は伯父の菅野六郎左衛門を頼って江戸に出てきた。半次郎はこれに志願。褒美の脇差を先に貰って、さらし首の元へと赴き、さらし首に印として1つ1つ煎餅をくわえさせていく。しかしさらし首の数は5つと聞いていたのになぜか6つあり、しかも最後の1つの首はパリパリと煎餅を食べて「もうひとつ煎餅をよこせ」と言い出した。半次郎は妖怪の類だと思い、首を斬りつける。多くのドラマでは大石は敵の目を欺くためにあえて遊び呆けたのだとされ、たとえば仮名手本忠臣蔵でも、遊興により斧九太夫(史実の大野九郎兵衛)の目を欺いている。大高に仇討ちを期待する水沼は、仇討ちに相応しい腹切り魚を出して、大高を試したのだ。そうこうするうちに討ち入りの日がやってくる。そこで勘平が外出しようとすると、伯母が怪しんで外出させてくれない。寛延元年(1748年)8月には人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の十段目としてこの物語は描かれている。当時は実在の人物を芝居にするのに規制があったため、作中では「天河屋義平」という名前で登場する。大石内蔵助の下僕であった半右衛門は呉服屋の茶屋宗古という男と懇意になる。半右衛門は宗古から、自分の嫡男の嫁を見つけるよう依頼され、半右衛門は一人の娘を紹介する。絶体絶命のピンチを迎えた大石であったが、垣見五郎兵衛は目の前にいるのが吉良を討とうと人目を忍んでいる大石内蔵助である事を察し、大石に助力するため、垣見五郎兵衛としての通行手形を渡すのであった。討ち入りを期待する十次郎の妻子は、十次郎を鼓舞する為自害する。胸騒ぎがして帰っていた十次郎は妻子の自害を知り、討ち入りの事を話すべきだったと後悔する。かねてより浅野贔屓であった玄蕃は、12月14日、赤穂浪士たちが吉良邸へ向けて出陣したことを知ると、是非助太刀しようと吉良邸へ向かった。両国橋で赤穂浪士達と遭遇したが、大石には同道を断られた。しかしその中になんと蕎麦屋の十助がいるではないか。そして二人は今生の別れを交わした。その後玄蕃はせめて赤穂浪士たちが本懐を遂げるまでこの両国橋で守りにつこうと仁王立ちになった。そんな内蔵助のもとに内蔵助の息子・主税が現れ、仇討ちもせずに遊んでいる内蔵助に見かねたから切腹すると言い出す。ある時、近所の煙草屋・与助から按摩を頼まれる。しかし喜兵衛の按摩があまりに下手なので、与助から「(按摩の)流派は何か」と聞かれるが、喜兵衛は「一刀流です」と剣術の流派を答えてしまう。しかし六三郎の妻おとらは、「十次郎の妻子」と称する母子は実は六三郎の妾とその子供なのではないかと疑っており、六三郎が仕事で長期に家を空けなければならなくなると、おとらは十次郎の妻子に米や味噌を送るのをやめた為、十次郎の妻子は困窮する。ある日半之丞は吉良邸からお岩が出てくるのを見かける。なんとお岩の情夫・大須賀次郎右衛門が上杉家に仕官がかない、付人として吉良邸にきていたのだ。おみさからこの話を聞いた半次郎は、徳右衛門を一刀両断して仇討ちを遂げる。これにより半次郎の名は高まり、半次郎の道場は入門者であふれかえった。しかし天河屋は 「天河屋の義平は男でござるぞ。子にほだされ存ぜぬ事を、存じたとは得申さゆ」といい、これを突っぱねる。しかし仲蔵は浪人ものの斧定九郎を演じるため、本物の浪人を観察して写実的な演出で定九郎を演じる。半之丞は手習い師匠をして生計を立て、無事結婚して一子をもうけたが、ある日の事、半之丞は父・半右衛門が死んだという話を聞く。聞けば半右衛門はお岩とその情夫・大須賀次郎右衛門に毒殺されたのだという。安之助はおみつに引き取られ、以後中山家の一員として暮らしていく事になる。それ以後剣術に励み、めきめきと腕を上達させる。赤穂の片原村の郷士、日下部嘉兵衛の娘「おたま」は薙刀の使い手で「自分より強い人としか結婚しない」と言っており、父・嘉兵衛が結婚には千両の持参金を付けると言っていたので、多くの男性が彼女に挑戦しては破れていた。途中で源吾の義兄弟の水沼久太夫のもとに挨拶にいき、他家に仕官が決まった旨の嘘をつく。こうして名を高めた半太夫は上杉家に召抱えられ、吉良家の付き人になった。そのうち内匠頭の刃傷が起こり赤穂城が開城すると、民は大いに喜んで餅をついて賑わった。そこで寺坂は早速奉行所にかけつけ、五十両は娘を売って得た金である事を詳言。そこで奉行所が女衒を調べると、女衒が寺坂に払うべきお金の一部を着服していた事、盗難の犯人は女衒の仲間である事などが分かった。あるとき、宿場にいた老武士が薬を持っている事にきづいた安之助は父・安太郎のために薬を盗んでしまうが、安之助は老武士につかまってしまう。この老武士は実は祖父の安左衛門であった。ここに祖父と孫は運命的な再開を果たす事になる。祝言をすませると、夜中に半右衛門が突然切腹する。不振に思った周囲の者が娘に問いただすと、娘は自分が大石内蔵助の姫なのだと明かした。赤穂開城の後、大石が赤穂を離れ京に上ろうとするとき、老僕の八介が訪ねてきた。討ち入りの前夜、大高は煤払竹売に変装して吉良屋敷を探索していたが、両国橋で宝井其角と出会った。其角は早速「年の瀬や水の流れも人の身も」と発句し、大高はこれに「あした待たるゝその宝船」と返し、仇討ちをほのめかす。しかし岡野はやがて本当にお艶に恋するようになり、彼女を騙して絵図面を手に入れたことに自責の念を感じ、忠義と恋慕の間で苦しむ。討ち入り後、泉岳寺へ向かう赤穂浪士を見守る人々の中に涙を流しながら岡野を見送る大工の父娘がいた。その後帰宅した兄は下女から源蔵の様子を聞いて、もしや源蔵はと思いを巡らせる。そして12月15日、吉良義央の首をあげて泉岳寺へ進む赤穂浪士の中に弟源蔵の姿があった。備中松山の水谷家では藩主が死に世継ぎもなかった為、水谷家は藩主の舎弟の主水に召し上げられ、松山城は没収される事になった。その際松山城の受け取り役を34歳の大石内蔵助が申しつけられた。そのとき中村座でやっていたのは、『東山栄華舞台』という演目。これは小栗判官が横山大善を斬る所を描いた芝居だったが、内容はどう見ても先日起こったばかりの浅野内匠頭の刃傷事件を扱っていた。実在の事件を扱うと公儀がうるさいので、浅野内匠頭を小栗判官に見立てて刃傷事件を描いているのだ。礒貝は本心ではおみのに恋心を抱いていたのだが、おみのを前にして「そんな女は知らぬ」と嘘をついて取り合わない。和久半次郎(後の和久半太夫)は12歳のときから作州津山の森大内記(もりだいないき)に仕えていた。あるとき、大内記が小姓達を集めて肝試しをしようと、打ち首にした悪人五人のさらし首に印をつけてくるものは誰かいないかと言った。喜兵衛の按摩が全然効かないと与助から不平が出るので、喜兵衛は腹を立てて柔術の必殺技「肋三枚正風の殺」を与助に極めてしまう。浅野内匠頭が切腹に用いた刀で吉良を討ったとする逸話はすでに『仮名手本忠臣蔵』に登場している。だが大石のこの行動に対し八介は、金子のどこが形見なんだと腹を立てる。あるとき前原伊助は、乞食の姉弟・小雪と庄太郎が苛められているところに出くわす。伊助は姉弟を助け、姉弟の面倒をみてやる事にする。八介は大石に付き従って京に行きたいが、この年ではそれもかなわない、何か形見の品がいたたげないだろうか、と言った。しかし瀬左衛門は彼女と結婚すると、千両の持参金目当てで結婚したように取られてしまって面目ない、身一つで来るなら結婚すると言い出す。第二次世界大戦後、『忠臣蔵』は上演禁止の憂き目にあう。戦後日本を占領統治下においたGHQは軍国主義につながるものを禁止していったが、歌舞伎は忠義(愛国につながる)という理念の宣伝媒体だったとされ、そのように看做された一部の演目が上演を禁じられた。そのなかでも特に『忠臣蔵』は危険な演目であるとして目をつけられ、これも上演が禁止されていたのである。討ち入りの当日、間十次郎は物乞いをしている息子十次郎をみかけ、はじめてその困窮ぶりを知る。十次郎は仇討ちの事を隠しながらも、妻子をなぐさめる為、来年には仕官するからそれまで辛抱してほしいと言って去る。一方、やはり刃傷に立ち会った坊主の関久和(せききゅうわ)は内匠頭の小刀を奪い取ったとしてやはり公儀から加増を仰せつけられたが、久和はこれを断った。後で考えてみれば内匠頭の無念を慮って吉良を討たせるべきだったと久和は後悔していたのだ。そこで大石は紙をひろげて墨で絵を描いて、これを形見とした。その絵は若き日の大石が八介と吉原に遊びに行ったときの二人の様子を描いたものだった。この話のオチは、実は捕り手は大星由良助(史実の大石内蔵助)率いる四十七士がなりすましたもので、天河屋を試すためにこの様なことをしたのだという。大星は天河屋の忠義に礼をし、討ち入りの際の合い言葉を天河屋にちなんで「天」、「河」にするのだった。舞台では役者の中村伝九郎扮する荒獅子男之助が、小栗の一門の者は無気力な不忠ものばかりだと面々を罵っている。この頃、安兵衛の義母のおみつは黒田郷八という男から言い寄られていたが、ある日酒に酔った郷八がおみつから冷たくされると、もみ合いの末におみつを殺してしまう。そこへ大石が出てきて事を取り仕切り、赤穂藩が借りていた金銀を皆に返済したので、皆は大いに驚き、「この城中にこのような計らいをする人がいるのか」と顔を改めた。祝言の前日には、三百人もの腰の者がついて来たので、娘は裕福な身の上であることが想像されるが、半右衛門は娘の素性をいっさい明かさない。江戸に出てからというもの、半次郎の母「おみさ」に徳右衛門という浪人が懸想していたのだが、ある時おみさが徳右衛門になぜ浪人したのかと聞いてみたところ、徳右衛門は「昔、半十郎(つまり半次郎の父)という男を斬り殺した為に国に入れなくなり浪人したのだ」と答えた。国から遠く離れた江戸でまさか半十郎の親族に会うとは思わず、つい話してしまったのだ。聞けば徳右衛門は半次郎に斬られた長澤繁松の父に頼まれ、半十郎を斬り殺したのだという。そのうち浅野内匠頭の刃傷事件が起こる。数右衛門は吉良を討ちに行かねばと思うが、聞けば赤穂城は無血開城してしまったというし、内匠頭の後室・瑤泉院は境町の中村座で芝居見物に明け暮れているという噂だ。まずは瑤泉院に諫言せねばと思い、数右衛門は中村座に瑤泉院を探しに行く。『赤穂精義参考内侍所』にこの話が載っている。ただし神崎与五郎当人の話ではなく、与五郎の息子の話ということになっている。 『赤穂義士伝一夕話』にも神崎与五郎の息子の話として載っている。だが寺岡の父はこれに激怒し、寺岡の未練を断ち切るために切腹する。その甲斐あって淀五郎の演技は見違えるようにうまくなり、淀五郎が切腹の際、初めて團蔵の由良助が舞台に登場した。やむなく源蔵は兄の羽織を下女に出してもらって、これを吊るして兄に見立てて酒をつぎ、「それがし、今日まで兄上にご迷惑おかけしてきましたが、このたび遠国へ旅立つこととなりました。もう簡単にはお会いできますまい。ぜひ兄上と姉上にもう一度お会いしたかったが、残念ながら叶いませんでした。これにてお別れ申し上げる」と兄の羽織に対して涙を流しながら酒を酌み交わし、帰って行く。22歳の内蔵助は山鹿素行を赤穂まで護送する任務にあたったが、山鹿素行の門下の者がこれに反発して襲撃してくる。しかし内蔵助は門下の者達に、「ここで素行を奪い返すは幕府に弓を引くも同然」と道理を説いて説得し、無事山鹿素行を赤穂まで連れてくるのだった。ある日忠左衛門のもとに寺坂がやってきて、豆煎りの入った袋を置いて帰る。忠左衛門が豆を食べようと袋を開けると、中には五十両が入っていた。寺坂夫婦は昔の恩返しにと、娘の「お軽」を女衒に売る事で五十両を得て、それをそっと忠左衛門に渡したのだ。例えば『仮名手本忠臣蔵』では、大星(史実の大石)は一文字屋の「お軽」を身請けしようとする(ただしこれは、仇討ちに関する密書を盗み見たお軽を亡き者にするための口実)。13歳の池田久馬(後の大石内蔵助)は病気になった藩主池田宮内大輔に薬を飲ませる役を仰せつかった。しかし宮内大輔は薬嫌いであった為一筋縄ではいかない。28歳の内蔵助は下僕の勝助とともに向島に花見に行った。そこで勝助が三人の侍に泥をはねてしまった事から口論となり、侍達は勝助を斬ると刀を抜く。しかし内蔵助が刀を持った三人を素手で倒してしまい、事なきを得る。安之助が出来た事に安太郎の父の中山安左衛門は激怒し、安太郎を勘当して家から追い出す。その後小菊は若くして亡くなり、安太郎も病気になってしまう。するとある日安兵衛が喧嘩の仲裁をした事から安兵衛はすぐに江戸の有名人となり、「喧嘩安兵衛」という仇名がついた。また安兵衛はいつも飲んでいる事から「呑兵衛安兵衛」、赤鞘の大小を指している事から「赤鞘安兵衛」、葬式について呑みに行く事から「葬式安兵衛」などとも呼ばれた。これが大評判となってそれ以降斧定九郎は人気の役どころになり、仲蔵も人気役者として名を残した。「これに勝る形見はない」と八介は喜び、泣いて暇乞いをして去っていった。赤穂事件には「忠臣蔵」への演劇化による脚色も手伝って逸話や伝承の類が多く残っている。以下、有名な逸話ではあるが、伝承の域を出ていないものを挙げる。しかし急に五十両が手に入った事が災いして忠左衛門は泥棒と勘違いされてつかまってしまう。しかも忠左衛門は五十両は自分が盗んだものだと自白してしまう。忠左衛門はこの五十両は寺坂が盗みをはたらいて得たものだと勘違いし、寺坂をかばう為に自白したのだ。またあるとき唯七は芸州浅野本家に使いに行く事になった。ところが途中で堀部安兵衛に剣術の稽古に誘われ、稽古に熱中しているうちに使いの事を忘れてしまう。それから十三年後、寺坂は忠左衛門と再会。聞けば忠左衛門は播州浅野家に仕官が決まったが、鎧を買う為の五十両がなくて困っているという。本作では捕り手達が天河屋の息子を人質に取り、息子の喉元に刀を置いて天河屋を脅迫する。腹を立てた大野九郎兵衛は助直に斬りかかろうとするが、周りに止められる。しかもどさくさにまぎれて皆からポカポカ殴られてしまう。皆、普段から大野九郎兵衛に不満がたまっていたのだ。後日、赤穂浪士の討ち入りがあり、そのなかに大高がいたことを知った国蔵は己を恥じて出家の上、大高を弔ったという。赤穂の政治は次席家老の大野九郎兵衛が上席で全て取り仕切っていたので、民は税の取り立てに耐えられなかった。これには与助も参ってしまうが、これも何かの縁だと喜兵衛と雑談を始め、喜兵衛に身の上を聞くと、喜兵衛は「仔細あって浪人しており、按摩になったからかくも卑しき煙草屋の肩を揉み…」とか「世が世なら下手くそなどと無礼を言われれば手討ちにするのに…」などと言い出す始末。赤穂浪士の討ち入りが民衆から喝采を持って迎えられ、江戸時代から現代まで、「忠臣蔵」を描いた物語がありとあらゆるメディアで幾度となく作られてきた。『赤穂義士伝一夕話』でも横川勘平は伯母の家に住んでいるが、12日の段階で家から出ている。燕尾の講釈では、近衛家雑掌・垣見左内の変名を名乗る内蔵助が川崎の宿で本物の垣見左内に出くわす。仕方なく内蔵助は本名を書いた詫書を左内に渡すが、そこに内蔵助の名を見た左内は事情を察し、詫書を内蔵助に返してこの件を不問に付す。大高はここで騒ぎになるわけにはいかないと思って、じっと我慢する。大石は放蕩の末、遊女を妻にすると言い出し、本妻と離縁して実家に帰す。大石の子供と実母もこれに付き従った。一方、徂徠が若き日にお世話になった豆腐屋は火事で家を焼かれ困り果てていたが、徂徠は昔のお礼にと豆腐屋に金子を渡す。しかし寺坂は忠左衛門の下女「おたね」と密通して子をなすという武家のお法度を犯してしまう。武家奉公の身では夫婦にしてやる事も許されず、忠左衛門は仕方なしに寺坂を解雇する。おたねも何も持たされず襦袢一枚で忠左衛門の家を追い出されたが、襦袢を調べてみると中に五十両が縫い付けてあった。忠左衛門が二人を心配して縫い付けてくれたのだ。二人は八百屋をして生計を立てる事にする。やっと使いの事を思い出してまず馬に乗ろうとするも間違って前後反対に乗ってしまい「馬に首がない!」と驚く始末。一方、仇討ちの重圧から逃れるために遊んでいたとするドラマもあり、例えば芥川龍之介の『或日の大石内蔵助』では大石は単に仇討ちを忘れて楽しんでいただけなのに、周囲がそれを誤解して敵を欺く計略なのだと賞賛する場面が描かれている。しかしその途中萱野の実家の近くを通りかかったとき、葬式の列に出くわす。聞けばなんと萱野の母が亡くなってしまっていたのだ。八十右衛門の下僕の直助はこの話を聞いて発憤。直助は刀鍛冶の所に行って修行を積み、「津田助直」という名前で有名になるほどになった。なおドラマ等では、上述した片岡源五右衛門のエピソードに関して、浅野内匠頭と口をきかない事を条件として片岡を浅野に会わせるものも多い。大石はあらかたの荷物を既に京に送っていたので形見にするものもなく、仕方なしに金子を八介に渡すことにした。主君の遺恨を晴らすべく命をかけて吉良邸に討ち入った赤穂浪士四十七士の行動は民衆から喝采を持って迎えられた。平和な時代が百年近く続いた元禄の世において、すでに過去のものになりつつあった武士道を彼らが体現したからである。昭和3年(1928年)8月には旧ソ連において二代目市川左團次等が史上初の歌舞伎の海外公演が行っており、その時の演目が『仮名手本忠臣蔵』であった。この事が奉行の耳に入ると、奉行は利兵衛を拷問し、武器の入った長持ちの鍵を渡すように言った。これを裏庭で聞いていた金右衛門、あまりの驚きにその場で死亡(屈死)してしまう。この事を知った安兵衛は伯父の六郎左衛門に助太刀すべく決闘の場所である高田馬場へと走っていったが、着いた時にはすでに伯父は事切れていた。討ち入り当日、喜兵衛は与助のもとに暇乞いにいき、「人切れば私も死なねばなりません。そこでご無事と木脇差さす」という狂歌を刻んだ木刀を渡す。聞けばこの狂歌の意味は「木刀なら人を斬る事もない。人を斬りそうな時も堪忍が大事だ」というものだそうだ。だがその場に居合わせた大石内蔵助は、礒貝がおみのの琴の爪を肌身はなさず持っていた事を告げる。それを聞くと、死んでいたはずの金太が起きて急いで逃げてしまう。実は金太も役人とグルで、死んだ振りをしていたのだ。さすがに内蔵助は主税を止め、本心では仇討ちしようと思っているが、敵の間者の目を欺く為あえて放蕩しているのだと伝える。大石内蔵助が泉岳寺において「あら楽し思ひは霽るる身は捨つる浮き世の月に翳る雲なし」という和歌を詠んだというもの。これを聞いた数右衛門はカッとなって舞台に上がり、中村伝九郎を殴りつける。舞台はめちゃくちゃになったが、これがかえって評判になり、連日大入りとなる。町人・天野屋利兵衛は赤穂浪士に肩入れし、浪士達が討ち入りに使うための武器を調達して長持ちに保管していた。大石内蔵助は(第二次)東下りの際に「垣見五郎兵衛」(もしくは立花左近)という変名を名乗り、江戸へと向かっていた。しかしその途中で、本物の垣見五郎兵衛と鉢合わせしてしまう。大石内蔵助が放蕩する様子を裏庭に隠れて窺う金右衛門親子だったが、内蔵助に全く隙がなく斬り込めない。直助こと津田助直は自身が打った名刀を八十右衛門に渡す。そして大野九郎兵衛に拝謁し、九郎兵衛の刀が真剣勝負の役に立たないものだと皆の前でけなしてその証拠に刀を簡単に折ってしまう。大野九郎兵衛は名高い津田助直に代わりの刀を懇願するが、もちろん助直は断る。忠臣蔵に関する逸話の中には、仇討ちの件を秘密にするため、赤穂浪士達が周囲の侮辱にじっと耐え続けねばならなくなる話が数多い。(そして討ち入りの後には、侮辱した者たちは自身の行動を後悔する)。本作では千崎弥五郎が植木屋に扮して高師直(史実の吉良)の屋敷に潜入して、女中のお高という娘と親しくなる。お高は千崎の正体を見抜き絵図面を取る手助けをしようとするも、女中の身分では絵図面を取ることはできない。そこでお高は変装して高師直の妾になり絵図面を手に入れる。そして絵図面を千崎に渡した後自害するのだった。
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