教科書定番教材シリーズはこのブログでも、一定の読者を持っている部分のようです。おそらく、授業準備にあたる先生と、試験を受ける生徒たちのニーズがあるものだと思われます。こういうことを、先生も生徒も「検索」する時代が来ているんですね。昔だったら、図書館に行って、文献をひっぱっていたはずなのに。偉そうにいったところで、普通の国語の授業を逆手に取ったのが、私の解説でもあるので、まあ、乗っかってるんですけどね。それは、人それぞれの読みなのかもしれません。でも、とにかくありとあらゆるものが、「臆病な自尊心」であり、「虎になった理由」に集約されていく。事実、このブログの検索も、ほとんどこれでされているわけです。文学作品の読みを深めるために、表現にこだわるということは大事です。その過程で「臆病な自尊心」の内実に迫るということはあり得るでしょう。でも、それが、「やっぱりこれが虎だよね」とか「こういうところが普通じゃないよね」というような、授業になっている気がして仕方がない。授業者には、その自覚がないかもしれません。でも、「臆病な自尊心」を虎になる理由として深めるということは、因果応報的な結論を導くわけで、それは自業自得であるとか、そういう印象を与えていることになりませんか?実際、これらの作品は、最終的にこういったテーマで討論したり、意見を書いて文集にしたりする取り組みも多いような気がします。「走れメロス」は友情、「こころ」は三角関係、「舞姫」は仕事か恋愛か。一番の疑問は、あの作品を読んで、どうして、「こういうところが虎だよね」という、李徴を責め立てるような展開になるのか、ということです。現代の生徒でも抱えている現代的なテーマにすれば、自分に置き換えて理解ができますからね。でも、私はそれなら定番教材はやらなくてもいいのではないかと思います。最初から現代的なテーマの作品をやればいいのではないか。私の印象は、何回読んでも、そういう教訓を感じない。「臆病な自尊心」の罪のような部分は感じなくはないです。それは、李徴も言っていますが、「悔い」のようなものですね。そんな気持ちになっていなければ…。もっと、切磋琢磨していれば…。少なくとも「しないから虎になるんだぞ」というようなものではないです。これを教員の主体性で考えれば、教えられたことを継承するという問題であるとはいえます。時代は変わっているのに、いつまでも昔と同じように教えていく、ということですね。これは本来、新しい教材を発見したり、時代にあった教え方を開発したり、そういうことって必要なはずなんですが、実際にはとにかく何か決めごとのように同じ教え方を再生産していく、ということなんでしょうね。中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!方法論としてはアクティヴラーニングなんて言葉が入りましたが、そこからたどりつくところが、昔と同じ理解であるとするなら、それは結局本質的な変化ではないんだと思います。これは、当然、国語の授業で「李徴が虎になる理由」を考えさせ、そしてそれを「臆病な自尊心」に求め、まとめているんだろうという前提があり、「いや、そうじゃないでしょ。理由なんてないし、そもそもテーマは、虎になる前も、虎になった後も、自分のことをわかってもらえないというそこにあるんじゃないの?」という問いかけでもあるわけです。ここまで「走れメロス」「山月記」「こころ」「舞姫」と小説については展開してきましたが、ネットで検索してみると、さまざまな解説がならびます。しかしながら、ささいな違いはあるにしても、大枠の解釈は決まっているというか、同じ観点について議論しているというか、結局、国語の授業の枠組みをベースとしているんだろうなあ、と思うんです。反国語の授業をうたっていても、同じ観点で見方を変えているというか。私自身は、現代的なテーマの作品も好きですね。村上春樹の「蛍」とか、吉本ばななの「キッチン」あたりは教材化をしました。だから、現代的なテーマを扱うことも意味のあることのような気がします。というわけで、今日はどちらかというと、教員向けというか、文学部の方向けというか、そんなテーマになっております。「山月記」の解説、授業展開については、すでにまとめてありますが、今日は、「山月記」のテーマは本来どこにあるのか、ということと、国語の授業の問題点をまとめてみたいと思います。ある作品が与えられる。その作品は、古典として現代の生徒たちに理解することが難しくなってくる。そうするときに、どういう作業を国語の先生はするのか?本来、国文学をやっていたであろう国語の先生は、本来、文学的なアプローチをしたいはずです。そう考えるなら、中島敦の作品を読み込んで、作家論的なアプローチもできるはず。でも、そんなアプローチは教室では重すぎるし、ついてこれないリスクもありそうです。じゃあ、どうしよう?そういうとき、国語教員は、生徒達が理解できるレベルに落とし込む、という方法論に流れやすいのだと思います。もうちょっとわかりやすく書くと、現代的なテーマにおとしこむということです。さて、どうして、こんなことが起こるのでしょうか。一因としては、古く、誰かがこういう展開をして、そういう教えを受けた人が教員となり、同じような授業を展開するという、伝統の継承が起こっているとはいえますが、どうして、こういう指導が続いていくのでしょうか。そうすると、中島敦は、この作品を通じて「教訓」を与えたかのような読みにも通じていきます。でも、だったら、最初から、「恋愛と仕事(勉強)どっちを優先する?」とか、「友と好きな人とどっちをとる?」とか「何もかも犠牲にしてかなわぬ夢を追い続ける生き方についてどう思う?」とか、最初から討論にすればいいわけです。もちろん、作品を読むこともやれるわけだから、こういう取り組みを悪いとは言わないし、討論が盛り上がれば、それはそれで、発表し議論する能力を伸ばしますから悪くはないんですけど、その代償として失われていく、作品を作品としてきちんと読む力、というか、登場人物を自分と違う他者として理解する力が失われているわけです。今回のものでも書きましたが、一番「虎」のように感じるのは、詩人への執念のようなものです。そういう観点で考えれば、「臆病な自尊心」はもっともこれを妨げる虎らしくない部分に感じます。そして、もちろん、その執念を持ちながら、虎となってしまったことへの「無念さ」に一番私は共感するんです。でも、古典的教材を、作品の読み自体を変えてまで、現代的なテーマにもっていくことは、国語というよりは、道徳というか、生き方というか、人生論というか、悩み相談というか、自己主張というか、そんなことのような気がします。でも、作品をベースにするなら、まずは作品の読み、つまり、そこにいる他者をしっかり読み取ることが大事で、自分に置き換えたり、ひきつけたりすることはあまり感心できることではありません。解釈は自由。多様に読むのもあり。でも、そういう言葉を使って、結局、作品という他者の声を自分の都合のよいように利用するとしたら、討論としてもあまり意味をなしていない気がするんですね。読んでいただいた方にはわかると思いますが、「李徴が虎になる理由」を考えながら、ひとつずつつぶしていき、最終的に「理由がない」、そして「本当かどうかわからない理由を1人で考えながら、それをはき出すこともできない孤独、そして聞いてもらうという癒やし」というようなテーマで説明しています。そういう人たちに、この記事は、期待していたものではなく、受け止められているのか、それとも一石を投じられているのか、気にはなる部分です。議論や討論をするためには、他人の意見をしっかりと聞いて、その上で自分の意見を述べていくことが必要なはずです。 作品の中に込められたテーマを知れば、生きていく上で一度は直面する数々の悩みと向きあうヒントを得られるのが、文学作品の素晴らしいところ。お盆休みの間に、文学作品の本当の楽しみ方を知り、その世界観にどっぷり浸ってみるのはいかがでしょう。 「自意識」の強さゆえの苦悩 「自�

ぴよすけです。 中島敦の代表作である『山月記』は、中国古典の『人虎伝』が下地になっています。 『人虎伝』はすべて漢文なので、高校生のときに読むのが大変でした… この記事では『人虎伝』の現代語によるあらすじと、『山月記』との相違 [mixi]国語教師の作品・教材研究の部屋 山月記 今、非常勤先の高校で「山月記」の授業をしております この教材については、いろいろ論じるテーマがあると思いますが、今回は、今自分がやっているまさしくその授業に関連付けて問題提起させて下さい 扱いたい 『山月記』ってむずかしい?対比で読むと超簡単!ここでは『山月記』の影の主役に焦点を当てながら、あらすじから解説まで分かりやすく説明していきます。 高校講座home >> 現代文; 現代文. 山月記の中の月の役割を教えて下さい!主題にもかかわっているらしいのですが、全く解らなくて。ところどころにでてきて微妙に変化している月の意味?を教えて下さい。6月15、6日ごろまでにお願いします。旧友との再会の場面は、「残月」 また、何が『山月記』を難しくさせているかという考察もしています。構造自体はシンプルなのですが、多くの初見の人(特に高校生)にとっては難しい作品に感じるはずです。生活が苦しくなってきたこのころから、李徴の見た目も厳しく尖った様になります。『山月記』の難しさとはどのようなものか、次にみていきましょう。「『山月記』は難しい言葉がたくさん出てくる」という印象を持たせてしまうのは間違いありません。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作にふけった。このころからその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみいたずらに炯々として、かつて進士に登第したころの豊頬の美少年のおもかげは、いずこに求めようもない。李徴が昔、のろまな人物だと相手にしなかった同僚たちはすでに高い地位まで出世していました。しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を追うて苦しくなる。李徴はようやく焦燥にかられてきた。『山月記』は次の2点で示すようにシンプルな構造で、20~30分で読める短編小説です。隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。同じく高校で学ぶ作品として、森鴎外の『舞姫』のほうが、全編通して難しく感じた気がします。ぴよすけです。 中島敦の代表作、『山月記』は普通に読んでもおもしろいです。想像を膨らませるともっとおもしろいです。 特に李徴という主人公、本当はめちゃくちゃ腹黒いんですよ?[…]32歳で『山月記』が発表され、作品が認められ始めた矢先、病気によって33歳の若さで亡くなってしまいます。当ブログをご覧いただきありがとうございます。昼は現実世界でお勤め、夜は仮想空間に身を寄せるぴよすけと申します。このブログでは小説や映画など「製作者の意図」を考えたり、日々の「気づき」を徒然なるままに記したりしています。少しでも好きになってもらうためにおもしろい読み方を紹介しています。本作品は唐の『人虎伝』が題材となっています。『人虎伝』と比較すると面白いですよ。隴西出身の李徴はとても優秀な男で、天宝の末年には若いのに官吏(=役人)登用試験に合格し、江南地方の治安にあたる役人となりました。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。第一段落がわかるようになるだけでも、『山月記』がグッとおもしろくなりますよ!数年後、生活の苦しさに耐えられず、妻子を養うために「詩家として成功する」という志を曲げ、再び東に赴き地方の役人として働くことになりました。この部分できちんと理解できないと、第二段落以降で話がつながらなくなってしまい、難しく感じることになってしまいます。李徴が発狂→虎となって友人・袁傪の前に現れる→話をしたあと李徴が姿を消す今時の高校生は「今日、友人と久闊を叙してきたよ」なんて言いませんよね!笑中島敦は『人虎伝』の流れを用つつ、登場人物の心情に味付けをして『山月記』を完成させました。作者の中島敦は、漢学者の一家で育ち、幼いころから漢学に触れていました。一方でこのころから生涯の持病となる喘息に苦しむようになります。理由は2つ。一つ目は妻子の衣食(生活)のため、もう一つは詩業に絶望したためです。身分の低い役人として長い間、目上の役人の言いなりになるよりは、詩家として名を死後にも残そうとしたのです。24歳で横浜高等女学校の教員になりますが、文学への思いが断ち切れず創作活動を続けます。大きく誰かがアクションを起こす・場所の移動がある等の構成はほぼありません。さらに途中で漢詩も登場するので、国語が嫌いな人にとっては読みづらい文章でしょうね。いくらも時間が経たないうちに李徴は役人を辞め、故郷の虢略に戻り、人との接点を絶ってひたすら詩を作ることに没頭しました。ここでは第一段落内の李徴が発狂するまでの部分を触れていきます。李徴は20歳前後で合格しているいため、非常に優秀だったといえるでしょう。しかし、そう簡単に李徴の名が評判になることもなく、生活は日に日に苦しくなっていきます。ぴよすけです。中島敦の代表作である『山月記』は、中国古典の『人虎伝』が下地になっています。『人虎伝』はすべて漢文なので、高校生のときに読むのが大変でした… この記事では『人虎伝』の現代語によるあらす[…]『山月記』をきちんと読めれば、共感できる部分や納得できる部分は大いにあります。人物の行動の流れより、気持ちの流れを読み取るほうが重要な小説となります。漢文は古典の授業だけでお腹いっぱいの人にとって、この第一段落は「死の段落」となるでしょう。笑数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。その人たちから命令されることで、才能を持ち合わせている李徴にとってプライドが傷ついていました。痩せて頬骨が出てきたり、眼光が鋭さを増したりして、かつて科挙に合格したころのふっくらした見た目はとは、まったく異なっていました。芥川龍之介の『羅生門』や夏目漱石の『こころ』と並び、今でも教科書の定番教材として用いられています。冒頭部分で「この作品は難しい」という固定観念ができてしまいがちな、可哀そうな物語です。笑この記事では作品・作者のデータとともに、これから『山月記』を学ぶ高校生に向けて第一段落の解説をしています。かつての同輩はすでにはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった。しかし頑固な性格なうえ、自分自身の力をとても信用している(=プライドが高い)ため、身分が低い役人でいることに満足していませんでした。李徴はいつも不満を持って楽しむこともなく、叫びたくなったり誰かを傷つけたくなったりする思いは我慢の限界に達していました。一見難しく思うような文体ですが、第一段落以降の大半はなんとなく意味が理解できてしまいます。

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