サッカー日本代表史11 決戦、ジョホールバル 2018年11月23日 by rincyu コメントは受け付けていません ソウルで行なわれた対韓国戦へ勝利し、日本にW杯出場への道が開かれた 。 欧州を中心とした海外サッカー,ワールドカップはもちろん,日本代表,jリーグなどの国内情報も充実のサッカーサイト ジョホール・ダルル・タクジム登録メンバー一覧 - 超WORLDサッカー! 現在所属する選手 [2017年4月7日編集] 日本は多少有利な状況にあったが、油断できない相手に岡田監督は「もし負けたら、2年はマレーシアで暮らすことなるかもしれないな」と冗談交じりに言いながら気を引き締めた。イラン選手の足が止まった今こそ、足の速い岡野の出番だった。中田は岡野の投入を待ち望んでいた。たとえ出足が遅れても、岡野なら中田のパスに追いついてくれるのだ。だがこの重要な場面での起用に、岡野には強いプレッシャーが掛かっていた。日本チームは選手とベンチスタッフ全員で円陣を組み、気合いを入れ直した。その直後のプレーだった。川口のゴールキックを日本が拾い、ボールが中田に渡ると素早く相手ディフェンス裏にパスが出された。それに反応した中山がシュート、ボールはGKアベドザデーの脇を抜け先制のゴールが決まった。中山が観客席に向け雄叫びを上げると、サポーターから大きな歓声が湧き上がる。そのすぐあとイランがフリーキックを得てダエイが弾丸シュートを打つが、川口が落ち着いて処理し前半は終了した。延長13分再び中田のパスから岡野にチャンスが生まれ、またもやキーパーと1対1の場面が訪れる。しかし岡野の選択は、走り込んできた中田への横パスだった。そのパスは相手DFに防がれ、絶好のチャンスを逃したことで岡田監督は頭を抱えてしまう。岡田は岡野に向かって「自分で打て」と叫んだが、岡野は自信を失っていた。選手がスタッフのマッサージを受けている間、岡田監督はピッチ横でせわしなく身体を動かしながら考えていた。そして岡野雅行を呼び、北澤との交代を告げる。岡野はこれまで最終予選で一度も出場の機会を与えられていなかった。ある日ふて腐れた岡野が、岡田監督に使われない理由を尋ねた。「お前は秘密兵器だ。使っちゃったら秘密にならないだろう」岡田はそう答えた。頭を強打した城も立ち上がったが、彼はそのあと半分意識のない状態でプレーを続ける。延長後半12分、イランに最後のチャンスが訪れる。マハダビキアが最後の力を振り絞り、右サイドを駆け上がった。そして日本ゴール前に渾身のセンタリングを送ると、そこにはダエイが走り込んでいた。決定戦が行なわれるのは11月16日。日本はマレーシアまで直行便を飛ばし、10日に現地入りをして調整を行なった。一方A組の順位が決まったのは11月12日、サウジアラビアが1位となり2位で日本と決定戦に臨むことになったのはイランだった。イランはマレーシアの直行便が確保できず、ドバイや香港を経由し36時間をかけて現地入り出来たのは試合の2日前だった。9分にアジジが川口をかわしゴールに突進するも、ボールはポスト右に外れる。28分またもやアジジが強烈なシュートを放つが、川口が正面で抑える。そして37分にはマハダビキアが右ポスト直撃のシュートを打ち、日本をヒヤリとさせた。スタジアムは2万を越える日本人サポーターで埋められ、日本チームに大きな声援が送られていた。現地時間の21時3分、スペインのディアス・ベガ主審により試合開始のホイッスルが吹かれる。開始直後日本は相手陣営に攻め込み、イラン選手のクリアミスによりオウンゴールとなったかに見えた。しかしそれがオフサイドとしてゴールが取り消されるとイランが反撃、日本はやや押され気味になる。この試合に敗れたとしてもオセアニア地区1位のオーストラリアとのプレーオフにより、W杯出場の可能性は残される。だがそうなった場合、ホーム&アウェイでさらに2試合を戦わなければならい。両チームとも、難敵オーストラリア相手に試合を続けるつもりはなかった。延長後半、足の止まったイランは前線に選手が上がれなくなり攻め手を失ってしまう。後半5分、中田はショートコーナーからゴール前の城にパスを送る。その時、城とキーパーがぶつかってしまいアベドザデーはゴールポストで左脇腹を痛打、城は脳震盪で立ち上がれなくなってしまった。試合前日の練習でアジジが右膝を負傷、足に包帯を巻き車椅子でグラウンドの外へ運ばれていく。しかしイランの練習を偵察していた日本のスタッフは、それが敵を欺こうとする彼らの陽動作戦であることを見抜いていた。イランチームはかなり追い込まれており、小細工を労してきたのだ。日本DFはすぐにマハダビキアを囲むがボールは後方のダエイに送られ、ダイレクトシュートが放たれる。川口が飛びつき寸前でシュートを弾くも、詰めていたアジジにボールを押し込まれ同点とされてしまった。開始11分、セットプレーから秋田豊の強烈なヘディングが決まり日本は早くも先制点を挙げる。その4分後には中田英寿が追加点を入れ、前半終了直前にも中山のヘディングによるゴールが生まれた。67分、井原正巳が更に追加点を入れたあと、73分フリーキックでカザフスタンに1点返される。だが79分には中山と交代した高木が駄目押し点を入れ、日本が5-1と危なげなく勝利を収める。こうしてB組全日程を終え2位を確定した日本代表は、いよいよW杯出場をかけA組2とのアジア第3代表決定戦に臨むこととなった。だが日本は慌てることなく反撃を開始、7分にはイランゴール正面の位置にフリーキックのチャンスを得る。セットされたボール後方に立つのはカズと名波。名波が蹴ろうとした時、先にカズがボールをキックした。しかしカズの蹴ったフリーキックは、変化することなくそのままゴールの上を越えていく。そのあたりから呂比須と城にアップが命じられ、ベンチの動きも慌ただしくなってきた39分、城が相手ペナルティーエリアで倒されるが、笛は吹かれなかった。それからも日本の優勢は続いたが、チャンスを決めきれずに2-2の同点のまま90分が終了してしまう。ここからはVゴール方式の延長戦に入ることになり、それでも決まらなければPK合戦となる。63分、予備審判が日本の交替選手のボードを掲げる。退くのは中山とカズの二人だった。カズは自分が交替かとベンチに確認する。こういった接戦で、今までカズに交替が告げられたことが無かったからである。この交替でゲームの流れは日本に傾き、反対にイラン選手の動きは重くなっていった。日本のチャンスが何度か続いた後の30分、中田が左サイド後方よりロングパスを送った。そこへ城が走り込みながらバックヘッド、アべドザデーのダイブ及ばず日本の同点ゴールが決まった。再び日本サポーターから歓声が上がり、勢いを増した日本は一気の逆転を目指して更に攻勢をかける。1997年11月16日、試合が行なわれたのはマレーシア・ジョホールバルのランキンスタジアムだった。日本はセンターサークルを挟み、フランスW杯アジア第3代表を決めるべくイラクチームと向き合った。予想通りイラン選手の中には、元気なFWアジジの姿もあった。ハーフタイムが終わり、グラウンドに戻った日本選手たちは円陣を組んだ。中山が祈るように両手を合わせ、センターサークルでホイッスルを待つ。後半の立ち上がり間もなく、イランの放り込んだボールが流れ井原がキープしようとするもミス、マハダビキアに奪われゴール前への突破を許してしまう。延長開始直後さっそく中田は岡野へパスを送った。岡野はイラン選手を振り切り、相手キーパーと1対1となるがシュートは防がれてしまう。岡野が天を仰いでいる横で、特にぶつかったわけでもないキーパーのアベドザデーがのたうち回っていた。疲れて動けなくなってきた自チーム選手を休ませるための芝居だったが、狡猾なキーパーはその後もあからさまな時間稼ぎに出る。日本はツートップにカズと中山、中盤には中田・北沢豪・名波浩、ワンボランチの山口素弘、4バックを形成するのが井原・秋田・名良橋晃・相馬直樹、そしてゴールを守るのは川口能活という布陣だった。GKアベドザデーに応急手当が施され数分後ようやく彼は立ち上がるが、左脇腹を痛めたような素振りを見せる。しかし狡猾に振る舞ってきたアベドザデーだけに、芝居である可能性は高かった。日本はすぐに反撃を開始、呂比須がイランからボールを奪い中田へ預けた。中田はそのままイランゴールに向かいドリブルでゴール前に迫ると、アベドザデーの左脇腹方向にシュートを打った。アベドザデーは咄嗟に反応しシュートを弾くが、こぼれ球を予測していた岡野がスライディングでボールをゴールへ押し込んだ。Vゴールが決まり、両手を上げて喜ぶ岡野に皆が駆け寄った。終了時間は23時35分。日本はイランとの死闘を3-2で制し、ついにワールドカップ初出場を決めたのだ。しばらく一進一退の状況が続くも、59分マハダビキアが右サイドからゴール前のダエイにクロスを送った。ダエイが日本DFの身体ひとつ高くジャンプしヘディングすると、ボールは鋭くゴールネットへ突き刺ささる。逆転ゴールにイラン選手は抱き合って喜び、日本選手はうつむき肩を落としてしまう。すぐさま岡田監督は呂比須と城を呼び、交替に備えて指示を伝える。ダエイが日本DFをかわしシュート、ゴールは決まったかに見えた。しかし足に疲れの来ていたダエイはボールを浮かしてしまい、日本は絶体絶命のピンチを逃れる。アベドザデーが再三遅延行為を繰り返したことで、日本にゴール近くからの間接フリーキックが与えられる。そのチャンスは生かせなかったが、すぐあとキーパーの弾いた球が岡野の前にこぼれてきた。しかし岡野はボールを吹かし、3度目のチャンスも潰して延長前半は終了してしまう。A組は1位を争うサウジアラビアとイランの勝負がもつれ、この時点ではまだ日本の対戦相手は決まっていなかった。代表決定戦を行なう開催地は、それぞれどの国が2位になるかで流動的な状態だった。いったん中東バーレーンでの開催が決まりかけたが、それでは中立地にならないと日本はアジアサッカー連盟に交渉をする。結局カザフスタン戦の前日11月7日に、東南アジア・マレーシアのジョホールバルで第3代表決定戦を行なうことが決まった。97年11月8日、日本の最終戦はホーム国立競技場にカザフスタンを迎え行なわれた。カザフスタンとは約1ヶ月前アルトマイで戦い、試合終了直前に同点とされている。その結果、加茂周監督が解任されてしまったという因縁の相手であった。5万6千の大観衆が見つめる中、日本は中山と城彰二をツートップに置き、試合は始まった。

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